数学
最近、理系と文系という二分法をやめよう、という主張が出てきている。私も頭では賛同するが、腹では納得していない。というのも、理系と文系を分けているものがあるからだと信じている。その「あるもの」とは、実験である。実験がある学問は理系だし、実験がない学問は文系だ、と私は信じてきた。しかし、実験がない理系の学問分野があることに気が付いた。数学である。数学には、実験がない。
本当に数学には実験がないのか。これは2つの点で間違っている。第1の点は、学生のカリキュラムとして、大学の数学科の学生は、教養科目を取得するときに、他の理科系と同じように物理学実験とか化学実験をかなりの割合で履修するだろう。特に物理学実験は、微分方程式を数値的に解いてみて実測値と比較して検証する、ということを要求されるので、数学専攻の学生がおこなうべきだ。第2の点はより本質的で、数学という分野それ自体に実験数学という分野が勃興していることにある。数値や図形といった対象が、特定の変換によってどのような推移をするか、ということをコンピュータを援用することによって結果を出すこと、そしてその結果を検証することが実験数学としてのおもしろさを有している。ただし、この実験数学は大学初年級で行われるには至っていない。その代わり、数学では演習や演義という、実際に問題を解いてみてその解き方について指導を受けるという時間がある。これはこれで大変である。
そういえば、数学者に関する小話を聞いたので記しておく。
ある数学者が交通事故に会い、救急車で運ばれた。救急車のなかで、救命救急士が、数学者の意識を確かめるために「1たす1は?」と質問したところ、数学者は逆にこう聞き返した:「その体の標数は?」。
スポーツの話題で持ちきりの時期、ある数学者は授業でこんな話をした:「みなさんはオリンピックだ、世界選手権だといって陸上競技に夢中なようですが、私にはこんなにつまらないものはありません。たとえば、100 m走がありますね。世界新記録はどんどん更新されますが、その世界新記録は時系列にすれば単調に減少するわけです。つまりその記録は単調に減少する数列でしかも下に有界ですから、実数の性質により下に有界な単調減少列は下限に収束します。収束するとわかっている記録のどこが面白いのですか?