まりんきょの博物館

博物館にはどんなものがあるのだろうか、なんとか学と名付けられた分野を寄せ集めます。

法学

二分法はやめよう、ということを言っておきながら、いわゆる理科系に属する学問分野しか触れてこなかった。今回は、いきなり文科系、あるいは社会科学に属するであろう、法学について気になることを述べる。

 

私はかねがね、なぜ大学の中で法学部というところが人気があるのか、不思議に思っていた。というのも、法律が表に出てきて活躍する場面など、ほんの一部だろうと思っていたからだ。世のため人のためということならば、経済学だとか、経営学商学といったところを学ぶのが企業にとってはよほど役に立って、企業からひっぱりだこになるのだろう、と思っていた。しかし、どうも現実は違うようだ。

 

ふと考えた理屈はこうである。人間の生死にかかわる職業として直接関与する可能性が文科系の中では最も高い、峻厳な側面があるのが法学であり、そのような峻厳な側面が文科系の学問の中で法学の人気を高くしているのではないか、ということである。病気やケガを直す医学が、理科系の学問の中で飛びぬけて人気が高い、ということからの類推である。法学が人の生死に直接関与するというのは、殺人や傷害致死という刑法における罪をめぐる考察、そして、死刑制度をめぐる議論などに、法学が関与するというわけだ。

 

しかし、この理屈は、理屈としての体をなしていないように思える。

 

もう少し別の側面から考えてみた。人間の生活を総体としてとらえるとき、もっとも効率よく網羅的にとらえられる側面は何か。それが法律であろう、というのが法学の立場という仮説だ。かりにその側面とは政治学かもしれない。経済学かもしれない。経営学かもしれない。心理学かも、社会学かも、地理学かもしれない。ただ、法学というものが他の学問に比べて優位をもっているとすれば、強制力をもったりもたなかったり、両様あるという点であろう。また、明文化されるものもあれば、判例とかたちで定着されるものもあり、あるいは議論として残ったままであり、これらさまざまな形がローマの時代から営々たる歴史を築いていて多くの意見がある、というのが法学の魅力なのかもしれない。

 

私は法学を学生時代の社会科学の一般教養科目として受講したが、最初の試験は日時を間違えたため単位を取り忘れた。青ざめた私は、性懲りもなく次の年に再度法学を受講し、二度目の試験でかろうじて単位を取得した。しかし、法学で覚えていることといえば、「となりの敷地から自分の敷地の上にまで伸びている柿の木や実は切ってはいけないが、となりの敷地の地中から自分の敷地にまで伸びてくる竹の地下茎やタケノコは取ってよい」という、些末な話題だった。些末な話題いえば、競売を「きょうばい」ではなく「けいばい」と読むことを知ったのも法学の時間だった。同じ大学の法学部の後輩に競売の読み方を確認したところ「初めて知りました」とのことだった。早ければ早いほどいい、ということではないが、こんなこともあった。